2012年3月26日月曜日

27回生 宮部和裕さん


スタッフ(以下、ス):では、インタビューを始めさせていただきます。
          よろしくお願いします。
宮部さん(以下、宮):よろしくお願いします。

)在校当時の思い出をお聞かせ下さい。

)まず、僕の学年は複合選抜制度で入学した最初の学年でした。入学当時は、(入試制度の改正により、)僕らの卒業時に千種のレベルが落ちてしまうことがないように、よりがんばろう、と思ったのを覚えています。下げちゃったかも知れませんけどね()
部活は野球部に入りました。日没まで毎日練習して…僕らはあまり強くなかったので、ラグビー部との領土権争いもありました。引退試合で僕は補欠でサードベースコーチだったのですが、そのときに自分は野球をやるというよりは、見る立場で仕事がしたいなあと思うようになり、元々アナウンサーにはなりたかったので、そういう道に進むために高校3年の夏から受験勉強を始めました。




)どのように進学先を選びましたか?

)アナウンサーというと、早稲田のアナウンサー研究会というサークルがありまして、そこにいけばアナウンサーになれる、という勘違いがあり、早稲田を第一志望にしました。





ス)進学先、学生生活についてお聞かせください。

宮)僕は浪人して早稲田の人間科学部に進学したわけですが、そこはスポーツマンが多い学部でした。そんな環境で僕はスポーツ関係の勉強をしながら、サークル(アナウンス研究会)の勉強に励みました。サークルには先生などはおらず、先輩が後輩に指導をするという仕組みでした。で、早稲田の野球部の試合を神宮球場で実況する、という練習をするようになりました。

)現在の職業とその内容についてお聞かせください。

)僕はアナウンサーという立場で、ドラゴンズを応援させてもらっています。CBCは名古屋では唯一ラジオとテレビの兼営局ということで、僕は、シーズンオフは火曜から金曜にラジオでドラゴンズ応援番組をやっており、それ以外にもニュースを読んだりテレビで野球中継をしたりしています。





)千種高校で学生生活を送ってよかったと思うところをお聞かせください。

)やっぱり、「自由だ!」ってとこですよね。()一泊LTでの討論の話が今でも生かされています。あのときあんなこと考えていたなーって。あとよく覚えているのは、生徒総会の自由討論で、ある女性が「自由を強制しないで下さい」と、本を小脇に抱えて発表していたことです。学祭やら体育会やらみんなで行う行事が多い千種ですが、彼女はきっと一人で本を読む時間がもっと欲しかったのでしょうね。部活や行事で忙しいことに充実感を覚えていた僕にはそれがすごく印象に残っていて、忙しいだけではだめで、仕事を置いとける時間というものが大切なのかなーということを感じさせてくれた出来事です。それも、千種でよかったと思うことのひとつですね。



)座右の銘を教えてください。

)僕は仕事上サインを書くことがたまにあるのですが、そこに絶対「心の実況」と書くようにしています。実況には喋りで絵を作る(映像を伝える)という責任があると思うので、そこに心を入れないと、機械的な実況ではつまらないと思うんですよ。なので、それが座右の銘ですかね。

)千種の在校生に向けてのメッセージをお願いします。

)色々と問題はあると聞きますけど、いい学校であることは今話したことから少しでも伝わるんじゃないかな、と思います。



)未来の千種生へのメッセージをお願いします。

)僕らが出た学校がどんどん活躍してもらいたいですし、僕もOBの一人としてこそっと応援させてもらっています。()ぜひ千種高校に入って一緒にお仕事ができるようになればなあと思います。がんばってください。





今回の訪問はラジオ番組の見学までさせていただいて、とても貴重な経験となりました。宮部さんはとても気さくな方で、他にも在校当時の先生のお話や、憧れのアナウンサーの大先輩のお話もしていただきました。ここには書ききれなかったお話もあるので、ぜひ動画もご覧下さい!

第一部:



第二部:


インタビュー後に、宮部さんからわたしたちスタッフに逆インタビューも行われたのですが、わたしたちの話を真剣に聞き、さらに質問し、話をどんどん促していく様子に、わたしはただただすごいなあと思っていました。宮部さんとお会いして、わたしはひとつのことに真剣に、そして楽しんで取り組む大切さを学んだ気がします。
宮部さん、素敵な時間をありがとうございました!










45回生 金村 奈見

2012年3月23日金曜日

20回生 伊藤弘紀さん


スタッフ (以下、ス) :ではインタビューをはじめさせて頂きます。よろしくお願いします。
伊藤さん (以下、伊) :よろしくお願いします。

:在校当時の思い出をお聞かせ下さい。
伊:テニス部に入っていたのですが、部活の毎日でしたね。学校帰りに同級生と遊びに行くこともなかったですね。ご飯を食べに行ったり、映画を見に行ったりしたかったのですが、部活が忙しくてなかなかできませんでした。ただ、もともとテニスがやりたくて千種高校に入ったので、よかったと思います。中学の先輩に誘われて、テニスができる千種高校への進学を決めました。ただ、テニスはやりたかったのですが、もう少し自由の時間があってもよかったかなと思います()
それと、楽しい思い出といえば学校祭ですね。三年生の夏休みは平和公園で練習をしましたし、二年生のときは展示部門でグランプリをとりました。バイキングをモチーフにした展示でした。朝早くから夜遅くまで準備に追われましたね。見回りにくる用務員さんの目を盗んで準備をしたり・・・昔は「用務人」といって、ある意味敵対視していましたね()




ス:どのように進路、進学先を選ばれたのかお聞かせください。
伊:中学のときから漠然と医者を考えていましたね。仕事の内容を詳しく知っていたわけではありませんが、人を助ける仕事っていいなと良いイメージを抱いていました。高校に入ってからもその気持ちは変わらず、また文系があまり好きではなかったこともあり、医学部に決めました。できれば地元の大学に行きたかったので、名大医学部を志望し、一年浪人して進学しました。

ス:学生生活についてお聞かせください。
伊:医学部は他の学部とキャンパスが違い、また6年制ということもあり、医学部のテニス部に入りました。バイトもしながら、週に2,3回練習していました。他大学の医学部との大会も年に5~6回あり、夏は合宿に行き、とても楽しめました。
また、学生のころは旅行にたくさん行きました。初めての海外旅行は中国でした。中国に詳しい友人と旅行をしましたが、基本的に行きあたりばったりでしたね。今から思うとすごい冒険ですね。カルチャーショックを受けたりしましたが、楽しかったです。この旅行をきっかけに、香港、シンガポール、アメリカなど、海外へ旅行に行くようになりました。

ス:現在の職業についてお聞かせください。
伊:大学を卒業し、研修医の頃は割と色々なことをやらせて頂きました。最初はとても不安で、重症な患者とそうでない患者を見分けるのも大変でした。そのあと、整形外科で経験を積み、今の病院へ来ることになりました。子供の診療をしたり、知的障害や身体的障害を持つ患者さんを診たりするので、それまでとは病気のタイプが違いました。退院する患者さんを送り出す時も、それまで働いていた普通の整形外科のように「骨折が治った」とか、「手術して病気が完治した」というのとは違い、長期にわたって治療、診療を続ける点で、戸惑うことが多かったです。

ス:座右の銘や、普段心がけていることを教えてください。
伊:整形外科は普通、けがの治療が終わったらその患者さんとの付き合いはなくなるものですが、この病院は小児を対象としているので、発達の経過をみていく必要があり、長期の付き合いになります。小児の患者さんや、障害を持った患者さんが成人になったときのことをイメージしながら10~20年を見越した治療をしていかなくてはならないのです。治療には色々な選択肢がありますし、親の考え方も違うので、将来のことも含めた、日頃の親御さんへの説明に特に気を使うようにしています。この病院ならではのことですね。プレッシャーは感じますが、長期にわたってみている子が成人したり、就職したりするときに感じる嬉しさの方が大きいです。

ス:千種高校で学生生活を送って良かったと思うことがあれば教えてください。
伊:千種高校は個性が豊かなところがよかったです。校則が厳しすぎず、先生も気さくで、やりたいことをやらせてくれました。昔は一社駅周辺には何も楽しいものはなく、通学はそれほど楽しくはなかったですが、学校でワイワイとでき、自由でよかったです。

ス:在校生や未来の千種生へのメッセージをお願いします。
伊:先輩たちがつくってきたものはたくさんあると思うので、それを見て、学んでください。そこからは自分たちのアイデア次第です。先輩たちのつくりあげてきたものにまた加えて、色々なことをしてください。せっかくの自由の校風なので、楽しい高校生活を送り、ぜひ将来につなげてください!


千種高校に在学中は、部活動と学校行事で完全燃焼され、また勉強のほうもしっかりとなさり、今は医師としてご活躍されている伊藤さんは“文武両道”に力を入れておられる、まさに千種生の理想の姿なのだと思いました。またお話を伺う中で、「自由な校風」という千種高校の魅力にあらためて気付かされました。私も千種高校で思い切り学校祭に取り組んだ思い出がありますが、そのことを「楽しかった」で終わらせず、しっかりと将来につなげていきたいと思います。
伊藤さん、お忙しい中、貴重なお話を本当にありがとうございました!

46回生 松浦沙也子