2012年8月3日金曜日

千種高校国語教諭 18回生 森川龍志さん

スタッフ(以下、ス):では、インタビューを始めさせていただきます。

          よろしくお願いします。
森川さん(以下、森):よろしくお願いします。



)在校当時の思い出をお聞かせ下さい

)いろいろな思い出があって、何から話せばいいのか分かりませんが・・・(笑)




)印象に残っている先生はいらっしゃいますか?


)変わっている先生はたくさんいらっしゃいました。一社駅から学校までの食べられる草を教えてくださる先生がいて、実際に歩いている途中に草を見つけると口に入れて「これは食べられる。」なんておっしゃっていました。
クラスメイトもユニークでした。数学がとても得意で、テストで満点以外取ったことがないという伝説を残した友人がいました。数学の先生も彼から質問の手が挙がると、「何を質問されるのだろう」と緊張していました。(笑)彼は人に教えることもとても上手だったので、テスト前にはよく教えてもらいました。皆で集まって「自主ゼミ」を開講するというよりは、困ったときは個人的にそれぞれのプロ(友達)に聞いていましたね。



学校祭の準備も力を入れて行いました。「戦争・空襲」をテーマに展示を行ったのですが、インターネットは無いので、インタビューに行き、足を使って情報収集をしました。実際に使われた爆弾の破片も借りてきて展示をしました。演出や小道具などもとてもリアルに再現できたと思います。当時は戦争を体験された方が自分たちの親世代にあたる方だったので、展示のあまりのリアリティーに実際に体験した戦争のことを思い出してしまい、顔が真っ青になってしまうお母さんもいらっしゃいました。

                     
)進路についてお聞かせ下さい。


)以前は、学校の進路指導のときに自分の進路の思い出について話したことがあったのですが、最近はあまりしていないですね。そのときによく話していたのは「自分の本当にやりたいことや合っていることを避けていても結局は自分に一番あっている道に帰ってくる」と言うことです。
 最初は教師になろうとは思っていませんでした。教育実習も「資格を取れれば…」と思って申し込みました。就職を考えたときにコピーライターになりたいと思ってマスコミ系を中心に就職活動を行いました。しかし、テレビ局の面接で「製作の仕事がしたい」というと、面接官に「そんな仕事できるわけがないだろ」と言われたり、集団面接の前に控え室で「自分は番組を作りたい」と熱く夢を語っていた仲間が、面接官に質問された途端に「やらせてもらえるなら、何でもやらせて頂きたいです!」と態度が急変するのを見たりして、世界の汚さや現実を知ったような気がしました。「自分は本当にこの世界で仕事をするのか」と考えているときに、教育実習が始まりました。学校はまさに学祭真最中、教室には壁ができかけていたりして授業にならないくらいでしたが、生徒たちの顔はとても生き生きとしていて、何かとても純粋なものを感じました。そして実習が終わる頃には「自分は教師になりたい」と思うようになっていました。

 
マスコミ系で働きたいという思いの中にはどこかで「皆が難しいといっている業界に就職したい」という部分があって、もしかしたら「真にやりたいこと」とはずれた道を選んでいたのかもしれません。



)現在の職業とその内容についてお聞かせ下さい。


)千種高校で国語を教えています。赴任して3年目になります。母校で教えられるということはやっぱり嬉しいことです。




)心掛けていることをお聞かせ下さい。


)自分は国語の教師なので、国語についての知識がいつでも豊富でいられるように今でも勉強しています。




)千種高校で良かったと感じるところはありますか?





)千種生には高尚なユーモアがあると思います。今、図書館の棚を整理していたら『千種陽』の創刊号が出てきたのですが…手抜きの文章に見えても、宮沢賢治の文章を引用してみたり、当時の時事ネタのパロディで書いてみたり、当時の千種生はやっていることの質が高かったなと感じます。



また、こうして世代を超えたつながりができることも千種高校のいいところだと思います。自分が学生生活を送ったのは3年だけですが、1度も一緒に学生生活を送ったことのない後輩とも、こうして共通の話題で話をすることができる。時代は変わって学生生活のスタイルも変わっているけれど、「千種生」としての根幹の部分は何も変わっていないのかもしれませんね。



森川先生のインタビューは、情熱に満ちていて、時間がいくらあっても足りないくらい楽しいインタビューでした!先生のお話を聞いていて「一度で良いから森川先生の授業を受けたかったな~!」何度も思ってしまいました!
森川先生、お忙しいところとても貴重なお話をありがとうございました。


45回生 平野 遥