2013年8月29日木曜日

1回生 山田和孝さん

スタッフ(以下、ス):では、インタビューを始めさせていただきます。


          よろしくお願いします。
山田和孝さん(以下:山):よろしくお願いします。


ス)在校当時の想い出を聞かせて下さい。

山)当時は先生との距離感がなく、校長先生にもよくしてもらいよく校長室に出入りしました。若い新任の先生の下宿等へ遊びに行ったりとか。学校での想い出は勉強よりも土曜日に集中で行われていた体育の授業や部活でした。
一年の二学期まではサッカー部の練習も肩身の狭い思いで部活動明和のグランドの片隅で行いました。
ともかく、学校の周辺、星ヶ丘からは原野で集落もまばらでした。土地改良事業が進み開発途上でした。舗装されて無くDORO-WAYと呼んでいました。
今では想像もつかないほど緑の環境豊かで「のんびり」していたかな。

ス)経歴を教えて下さい。

山)卒業後意匠科に行きたく東京芸大の夏期講習に二年から受講し、とにかく上野の森のあこがれていましたが、三度のチャレンジで挫折し、千葉大学の工業意匠にも失敗し、東京のデザイン学校に進みました。その後は本間さんという師匠の下でインダストリアルデザインを学びました。徒弟制度が厳しく一年目は章句時の支度、筆洗い等下働きが続きましたが師匠の下ではコンセプトワーク、観察眼を養いました。また商業施設等の導線計画、インテリアデザインに携わりました。しかし、様々な仕事をする中で誰かの下で働くよりも独立したいという野心が生まれてきました。そのために短期間でなくなってしまうディスプレイよりも形が残る建築に携わりたいと思い、独学で建築について学びました。そこから今に至っています。

ス)現在の活動について教えて下さい。

山)企業の監査役では日本の製造業がグローバル経済の視点で監査をしています。15年前に母親をアルツハイマーで亡くし福祉の社会化を推進するため市民グループを愛知で設立し、介護保険の制度論や政策提言を市民初で活動しました、同時にNPO法人のNPO法人あたたかい心では「重度の心身障がいの未来を考える会」を保護者と共に立ち上げ、事務局を担い学習会や行政と共に肢体不自由の子と接することで人々と住環境のについて考えています。また、12年前から
政治活動では「緑の暮らしを実現する会」を緑の党の活動を通して市民目線で政治の取り組みを行っています。
その取り組みの中で自然の再生エネルギーと住環境の重要性が大切だと考えています。
とくに3/11以降、私は第1次産業が日本を再生していくと考えています。


ス)在校生に対して伝えたいことを教えて下さい。

山)3年間の想い出を大切にして、深い絆を育んでほしいです。ソフトなものをたくさん残してほしいです。学校って何だろうという疑問を持ち悩みながら過ごすと希望がもてると思います。先輩と交流を深めアドバイズも受けてみては?
最近は千種の子を街で見かけるとちゃんと頑張れよと声をかけたくなります(笑)。この歳になると現役生を温かく見守りたくなります。

ス)未来のちぐっこへ伝えたいことを教えて下さい。

山)千種は50周年を無事迎えることができたので、今度は100周年に向かっての足掛かりを作りながら、自分たちの足跡を残してほしいです。常にその過程にいるのだからみんなに頑張ってもらいたいです。また自由闊達であってほしいです。

ス)50周年記念噴水事業等の同窓会活動についてどのように思われているか教えて下さい。

山)予算の制約など限りある範囲で努力したことは非常に評価しています。残せるものが作れたこともよいことだと思います。また在校生、OBOG、保護者、職員、PTAのスクラムの強さを感じた同時に、同窓会の活動の熱意を発信する良い機会にもなったと思います。さらに50周年に到達したことで、新たなスタートに立つこともできたとのではないかと考えています。

ス)座右の銘を教えて下さい。

山)座右の銘というよりも自分のモットーとしてあるのは、生きとし生けるものに対する「感謝」です。すべての人がすべてのものに感謝するようになれば争いもなくなり平和になると考えています。

今回話をうかがって、山田さんの強いエネルギーと向上心を感じました。また、1回生の山田さんと48回生の自分が接することができる千種の縦のつながりの強さを改めて感じました。


48回生 香村太輔