スタッフ(以下、ス):ではインタビューをはじめさせて頂きます。よろしくお願いします。
林田さん(以下、林):よろしくお願いします。
ス)在校当時の思い出をお聞かせ下さい
林)部活動でバレーをやっていたことが一番の思い出です。三年生の夏まで頑張りました。朝練や昼練もあり、学祭の展示などの準備に参加できないこともしばしばありましたが楽しかったです。そのほかによく思い出すのは、授業中のことなどよりも日常の何気ないことが多いです。
ス)どのように進路、進学先を選んだのですか?
林)南山大学短期大学部の英語科へ進みました。変な話ですが、高校3年生の時に父の転勤が決まり、そのときに「家族がばらばらになってはいけない、自分が早く学校を出てまた家族揃って暮らしたい」と思ったので、2年間で卒業できる短期大学を選びました。
ス)進学先、学生生活についてお聞かせ下さい。
林)みなさんが4年間かけて学ぶことをその半分の時間でやり終えなくてはならないので、授業がとても大変でした。他の授業で忙しいので教職なども取れませんでした。また、ある有名な教授の授業に出席するために何時間も予習をしなければならないこともありました。でもそれを必死にやったことがとてもいい経験になっています。
私は短期大学部でしたが、南山大学のほうのバレー部に所属していました。体育会系でした。アルバイトはミスタードーナツでしていたのですが、私が働いていた店舗のドーナッツの匂いを嗅ぐと太るという噂がながれ、そんなことは嘘に決まっているとわかってはいたものの、少しこわくなって一週間でやめてしまいました(笑)。
ス)現在の職業とその内容についてお聞かせ下さい。
林)名古屋インターナショナルスクールでJapanese(日本語)の教師をしています。大学卒業後はJTBに勤めていたのですが、結婚して妊娠がわかって泣く泣く退社しました。でもそれからは、「今は子供といっぱい遊ぼう!」と決めて子供との時間を楽しんだので何も後悔していません。しばらくして友人から英語を教えてほしいと言われ、自宅で教え始めました。その後専門学校に二年間通い、日本語教諭の資格をとりました。名古屋インターナショナルスクールで教え始めて、今年で8年目です。今が一番楽しいですね。もちろん高校生活も大学生活も楽しかったけど、私は「戻りたい」とは思いません。自分が今までやってきたことは全部「今」のためのものだと思っています。氷山に例えるなら、見えている氷山のところが今、そして海面下の見えないところが昔で、全て積み重なってきているからこそ今があると思っています。毎日が新しい発見ですから、なにひとつ昨日を振り返ることはありません。自分がまだ成長段階だからでしょうか。
今教えている子供たちのほうが英語力は上で、子供たちに発音を指摘されることもよくありますが、とてもありがたいと思っています。教え、教えられる。子供たちと対等な関係が築けているのが嬉しいです。みんな違う国の出身なので、彼らの文化の違い や考え方の違いを分析するのが楽しみのひとつです。日々新しいストラテジーを考えています。
ス)千種高校で学生生活を送って良かったと感じるところを聞かせてください。
林)家が近かったので、友達がよく家に出入りしていました。そのおかげで家族が私の高校生活を知ってくれたのはとてもよかったと思います。家族で話が弾むんですよ。
また、千種高校の先生方は生徒を信じてくださっていたので、自由にいろいろやれたし、同時に自由には責任がついてくるということが身を以て学べました。
ス)座右の銘があれば教えてください。
林)表向きに言っているものは、「一期一会」です。ただ、私は裏の座右の銘があって、それが「笑って棺桶に入る」です。「これはやった!」「これはできた!」といったようにそのときそのときを精一杯生きて、「あー、終わった!じゃあみんな、またね!!」と言って人生を終えたい。
ス)在校生に向けてのメッセージをお願いします。
林)「外国人の子は夢を持っている」「日本人の子は夢を持っていない」といったようなことを聞くかもしれませんが、外国の人は大学で二回以上も専攻を変えたりします。もし今夢がなくても、大学に行ってから見つければいいのです。自分がいつも何かにチャレンジしていたら必ず可能性があります。
ス)未来の千種生に向けてのメッセージをお願いします。
林)千種の自由な校風は守られてゆきます。先輩方が築いてきたこの精神は伝統となってゆきます。本当に素敵な学校なので、みなさん頑張ってください!
また、現役の千種生への言葉などは、
貴重なお話をたくさんいただき、本当にありがとうございました!
46回生 浅野侑子
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